大和三山(畝傍山・耳成山・香久山)

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奈良県  2013/2/9(土)

最近「日本のまほろば」飛鳥に興味が沸いてきた。関連書物を読んでいると地名・地域・位置関係などピンと来ない。そのはず、飛鳥など行ったこともなく、奈良といえば奈良公園しか知らない。とりあえず行ってみよう。皮膚で感じ、目で見てみよう。

飛鳥寺、板蓋宮跡、高松塚古墳、石舞台古墳など回る予定だったが・・・・。

総歩数<36235>、<27.1km>、<1176kc>、<18.2EX>
 

 

1: 橿原神宮から畝傍山(うねびやま)へ

★ 橿原神宮 

9時30分橿原神宮前駅着。直ぐ裏にある神宮へ向かう。畝傍山を背にして、初代天皇の神武天皇と皇后を祀る日本を代表する社。入り口右手には「紀元二千六百七十三年」とある。この起源は何だったっけ?、天孫降臨?。日本建国?。

広い神宮内を通り本殿前に出ると、数人の人たちが作業をされている。沢山のパイプ椅子を配置したり、飾り付け、掃き掃除など。結婚式でも?と思い、聞いてみると、建国記念日式典「紀元祭」の準備だそうな。そうだ、明後日は二月十一日なんだ。橿原神宮に来て、明後日に迫った建国記念日が念頭に無いなんて、恥をかいてしまった。そそくさと山へ向かう。

★ 神宮参道 

橿原神宮の建物全体は新しい。古めかしい荘厳さは感じられない。そのはず、明治23年に創建されたものなのです。
ここはいにしえの「畝傍橿原宮」の跡で、初代神武天皇が即位された場所とされる。そして「神武天皇陵」は畝傍山の直ぐ北側に位置する。 神武天皇は実在したのか?、陵は本当に神武天皇の墓なのか?、など論争があり結論は出てないようだ。最後は明治天皇の勅裁で「ここだ!」と決められたとか。
あさって好奇心から「紀元祭」を見てみようかと思ったが、この周辺一帯が右翼の街宣車で埋め尽くされ騒然となるそうだ。怖そうなので止め。

★ 畝傍山入り口 

大和三山の一つで、高さ199m。三山の中では一番高い。死火山で、噴火時は現在の二倍位の高さがあったが、長い年月をかけ侵食を受け現在のようにになったとか。国の名勝に指定されている。 一説によると、畝傍山とは現在の香具山を指すのではないかとも云われる。この時代を考証すれば、いろいろ疑問が生じるのは止むをえないのでは。

神宮北門を出て少し歩くと左側に山への入り口がある。案内標識があるので直ぐ判る。

   

★ 登り道 

登山道はよく整備されており登りやすい。登るというより散歩するという感覚。山腹を巻くように、なだらかな道が続く。
由緒ある山だが、途中歴史を感じさせてくれるようなものは何もない。雑木林の中をのんびり登れば20分ほどで山頂へ。

   

★ 畝傍山山頂 

畝傍山頂上へ到着すると、正面に丸い大きな時計が出迎えてくれる。10時20分だ。

山頂は小さな広場になっていて、一服できるようにベンチも置かれている。 三角点と畝傍山口神社跡の石碑がある。かってはこの山頂に畝傍山口神社の旧社殿があったようだ。
また荘重に柵で囲まれた雑木があったが、何の案内も無く???だった。後で解ったのだが、大阪の住吉大社の新嘗祭の時、埴使いの神事で使う土器を作るための土(ネズミのフンとか?)を採取する場所だそうです。住吉サンともご縁があるようです。

2: 畝傍山山頂〜薬師寺跡〜藤原京

★ 耳成山、三輪山を望む

畝傍山山頂から北東方向を望めば、街中にこんもりした小さな山が見える。あれが大和三山の一つ「耳成山」。さらに右方向に眼をやれば、山並みの前に浮かび上がるのが三輪山。

現在は静かな住宅街と田園風景が広がっているが、この地から日本の国造りが始まったのだと思うと感慨深いものがあります。「日本のまほろば」とも呼ばれている。

★ 葛城、金剛の山々

畝傍山山頂から東方向を望めば、右から「二上山」「葛城山」「金剛山」の山々が。
二上山は既に征服したので、この春には葛城山、金剛山を制覇したい。三輪山にも行きたいし・・・、忙しくなりそう。

というようなことを考えていると、急にあの「耳成山」に登りたくなった。それなら「香久山」にも登り「大和三山」制覇だ。当初の目的は、飛鳥寺、高松塚、石舞台など巡る予定だったが、急遽変更。耳成山を目指す。

★ 橿原考古学研究所付属博物館

畝傍山を東に向かって降りると、直ぐの所に「橿原考古学研究所付属博物館」がある。寄ってみることに。今回の飛鳥行きの目的の一つが、地図探しだった。 最近暇つぶしに読んだ「蘇我氏」関連の書籍から、古代史に興味が沸いてきた。いろいろ読んでいると、「檜前、呉原、石川、檜隅、豊浦、高市、栗隈、桃原」など古い地名が出てくる。それらの場所や、奈良盆地全体での相関位置など知りたくなった。書店、図書館で探したが、納得できるものが見つからない。それなら現地の資料館に行けば手に入るかも、と考えたのです。 この博物館には幸いなことに、古代王朝関連の多数の書籍・資料を展示・販売し、また閲覧コピーまでできるようになっている。現在まで出版されている関連書籍は全て揃っている。あまり時間が無かったので、ざっ〜と探したが、適当なものを見つけられなかった。今日は諦めた。

★ 本薬師寺跡

近鉄畝傍御陵前駅横の踏み切りを抜け、東へ進むと「本薬師寺跡」がある。田畑が広がる中に小さくこんもり膨らんだ場所が見える。標識が立っているのでこれらしい。真ん中に石柱の切り取られた跡らしきものが。
天武天皇が皇后(持統天皇)の病平癒を祈念して建てたものだが、平城京遷都のおり奈良・西の京へ移転されてしまった。現在残っているのはその礎石。平城京の薬師寺に対して「本薬師寺」と呼ぶそうです。
直ぐ横に垣根で囲われた民家らしき家がある。チラッと覗くと、庭に礎石らしきものが数個あり、「本薬師寺跡」の石碑もある。入ってみたいが、どうも民家らしくてで入れなかった。後で判ったが、民家ではなかったようで、残念です。 正面に見えるのが、さっき登った畝傍山。

★ 飛鳥川

写真上方(北、下流方向)右岸一帯が藤原京跡、下方向には甘樫丘、飛鳥寺、板蓋宮跡、石舞台古墳などが川沿いにある。
飛鳥のど真ん中を流れ、千数百年前の歴史ドラマを刻み、見つめてきた川。万葉の歌人達に愛され、詠み込まれた川。
今の景観は、和歌を一つ・・・というような詩情を感じさせるような面影は無い。 現在は、護岸工事なども行われ水量が少なく穏やかな川に見えるが、古代には水量も豊かで流れが激しくしばしば氾濫を起こしていたようです。そこからか、飛鳥川は定めなき無常の世のたとえとして詠われたようです。
この先、もう少し北方へいった小房観音寺近くの川沿いは、橿原市内でも有数の桜の名所とか。

★ 藤原宮跡

飛鳥川沿いに北方へ少し歩くと、広々とした空間が広がる。ここが「藤原宮跡」。大和三山(畝傍山、耳成山、香具山)で囲まれた三角形の中心に位置する絶好の場所。
694年都とされ、平城京へ移るまで16年間三代(持統、文武、元明)の天皇の都とされた。それまでは天皇毎に居所(宮)を転々と変えていたようです。「藤原宮」は日本で初めての都といっていい。中国の長安を手本に、東西南北が碁盤目状(条坊制)に区画され、後の平城京・平安京の原型となったのです。

その藤原京が、何故16年という短い期間で終わってしまったのか?。ズッーと疑問に思っていた。

★ 藤原京跡資料室

藤原宮跡の道路を挟んだ迎いの農協建物の二階にある。千分の一で再現した藤原宮の復元模型が見もの(無料)。なぜ16年間で藤原京は終焉したか?、香具山麓にある別の資料室でボランティアガイドさんに聞いてみました。 奈良盆地全体図を広げればよくわかるんですが、飛鳥地方は奈良盆地の南方に位置し、直ぐ南側は高取山から吉野山がそびえる。即ち南方へ行くにつれ小高くなっていく。次に藤原宮全体図を広げれば、天皇の居所である内裏や大極殿は北側に位置する(平城京・平安京でも同じ)。この位置関係が問題だったようです。南から(山側から)、下々の汚水・汚物の異臭が北方へ流れる。当時の飛鳥川流域は低湿地帯で水捌けも良くなく、また度々氾濫していた。上流(南側)から下流(北側)へ押し寄せるのです。 さすがに天皇様も、下々の悪臭には耐えられず、奈良盆地北方(平城京)へ逃げ出したというわけ。

3: 耳成山

★ 耳成山 

踏切りを渡ると池があり、公園と清潔そうなトイレがある。桜並木でも知られる「耳成山公園」です。 大和三山でも最も低い標高139.7m。山麓の海抜が約60mあるので、実際の登りは80m位しかない。裏山の散歩といった感じ。 ところで「みみなしやま」と読むんですネ。恥ずかしながら、「なり」と読んでいました。「なり」と読むのが自然なのに、何故「なし」なんだろう?。調べてみました。 どの方向から見てもきれいな円錐形で余分なところがない、ちょうど耳の無い頭を想像させる。万葉の時代から「耳無山」「耳梨山」と呼ばれたそうです。この「なし」が奈良時代に佳字を当て「成」が用いられたとか。佳字とは、「二荒→日光、粕壁→春日部」のように、読みが同じでも字面とか意味の良い漢字に変えてしまうこと。 ネットで「人の耳が大地から突き出たように見えるから」との説明があったが、これはチョット??。

★ 入り口 

公園横に登り口がある。その横の案内板には

「耳成山は大和三山の中では最も低い山ですが、円錐状の整った秀麗な山容をしています。畝部山と同じく瀬戸内火山帯に属する死火山で、侵食や盆地の陥没と堆積によって、現在の姿になりました」

と書かれている。
陥没によって耳が無くなった・・・ガッテン!成ほど

★ 登り道 

入り口の石段を登り小さな鳥居をくぐって登っていく。石灯籠が並ぶ神社への参道でもある。 10分くらいで着いてしまう。
この参道コース以外にも、石灯籠の右下に道幅が広く緩やか道が見えるが、緩やか過ぎて頂上まで続いているのか心配なので敬遠。

   

★ 耳成山口神社 

13時10分、神社に到着。「八合目」とあるが、笑ってしまう。直ぐ横の階段を登れば頂上なんだ。

神社周辺にふくよかな猫がやたら目に付く。ここは俺たちの宮殿だヨ!、といっている様子。人懐っこく、ジーと見つめてくる。エサ無くてごめんナァ、俺もまだ昼飯食ってないんだヨ!

★ 山頂 

山頂は、雑木に囲まれ見晴らしはゼロ。神々しさも感動も無い。あるのは「明治天皇大演習御統監之地(明治四十一年十一月十一日御統監)」の石柱だけ。日露戦争(1904年〜1905年)に勝利し、戦勝気分昂揚し大日本帝国へまっしぐらの時代。眼下に広がる藤原京跡で兵隊さんの大演習が繰り広げられ、ここから明治天皇が見下ろす。このイメージだけが沸いてくる。
これも香具山麓の飛鳥京跡資料室で聞い話ですが。この統監のおり、天皇様の御車を頂上まで運ぶ道が必要になった。そこで山腹をグルッと一周するような緩やかで幅広の道を造ったようです。それが現在残っている緩やかなコース。ウォーキングには最適のようです。 天皇家の古里、この飛鳥の地に戻られたらどうでしょう?。この山は最適だと思うんだが・・・猫とたわむれ

   

★ 耳成山遠景 

耳成山から香久山へ向かう途中振り返ると、広々とした田園越しににポッコリとした耳成山が浮かび上がる。
この空間が藤原京があった場所で、耳成山は大極殿の真後ろにあり、屏風のような位置だ。「耳無し」なんかでなく、もう少しましな名前が付けられなかったのだろうか?。山に坐す神が天つ神であることから、俗称として「天神山」とも呼ばれていたとか。なぜこちらが残らなかったんだろう?。

この山に「家康狙撃事件」の伝説が伝わっているそうです。天正10年明智光秀が「本能寺の変」を起こした時、堺に来ていた徳川家康は驚きあわただしく三河へ帰ろうとした。近道として耳成山の近くを通った時、山から狙撃されたという話です。

4: 天の香久山

★ 香久山 

耳成山を降り、藤原京跡の横を通り香久山へ向かう途中。この道はかっての「中の道」に当たるようです。、藤原京の復元図で見ると、藤原京を中心に西から「下つ道」「玄武大路」「中の道」が南北に貫いている。この辺りはまだ住宅街が開けておらず(制限されているのかも)、いにしえの面影を最も彷彿させる場所です。
標高152m。畝傍山・耳成山がお椀型であるのに対して、香久山がお皿型をしている。他の二山が火山なのに対して 、香久山は多武峰(とうのみね)山系から延びた尾根が長い年月の中で侵食され残った部分。山というより丘といったほうがよいかも。 三山の中では一番目立たない形状をしているが、万葉集で最も詠われ知名度は一番。また「天の香久山」と詠われるように、最も神聖視された山です。

★ 奈良文化財研究所藤原宮跡資料室 

香久山の麓にある。側まで来ると、守衛さんらしき人が近づいてきて、「どうぞ見ていってください!、無料ですヨ」と愛想良く客引きみたいなことをなさる。それでなくても立ち寄る予定だったので、喜んで入場する。
藤原京跡からの出土品などが数多く展示されている。他に入場者がいなかったので、ボランティアガイドさんが近づき話しかけてきた。前述のとおり、いろいろ面白いお話が聞けました。 時間があればもっとゆっくり鑑賞したかったのだが、香久山へ登らなければならないので展示品はあまり見ていない。また飛鳥へ来たら、この資料室は是非立ち寄ってみたい所です。

★ 登り口 

藤原宮跡資料室を出ると、すぐ南側に綺麗な香久山観光トイレがある。この脇を山麓に向かって進むと登山口がある。正面の雑木林の中へ入っていくと山頂へ、右へ進めば「天岩戸神社」へ、左へ進めば「天香山神社」へ出る。案内板には

「香具山は伊予国風土記逸文に「天から降ってきた」という伝承が残っており、「天の香久山」とも呼ばれます。万葉集において「天」という美称がつけられた山は香具山だけで、このことから多くの山の中でも特別な位置付けを持っていたと考えられます」

   

★ 道 

良く整備されたゆったりした道で、10分もかからないで頂上に着いてしまう。

★ 山頂 

正面が「国常立神社(くにとこたち神社)」。案内板には
「祭神は国常立命(天地開闢とともに現れた国土形成の神)。俗に雨の竜王と称され、境内社として高おお神(たかおおかみ)(竜王神)を祀る。向かって右側神殿の前に壺が埋められており、古来干天の時この神に雨乞いして壺の水をかえたが、まだ降雨のない節はこの社の灯明の火で松明をつくり、村中を火振りして歩いたという」

国常立命と竜王神は、本来は別々の神様。国土形成の神が、いつの時代からか雨乞いの神様に変わっていった。今も昔も人々の生活にとって、”国造り”などというロマンよりは、恵みの雨という現実のほうが大切だったのでしょうか。

   

★ 畝傍山を望む 

山頂から眺められる唯一の場所。 それでは一曲、でなく一歌を・・・
 「覗き見る、畝傍の山は葛城の・・・(いか略)」

ところで「香久山」と「香具山」、どっちだネン!。調べてみると、 橿原市の名勝登録は「香具山」 橿原市作成の観光マップでは、山は「香具山」、近くにあるのは「香久山体育館」「市営香久山墓園」 国土地理院の地図は「香久山」 JR桜井線は「香久山駅」 万葉集では「香具山」と詠む。有名なのが 持統天皇の歌 「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」
歴史的には「香具山」、現在の地域名称は「香久山」といったところか?

5: 天の岩戸〜雷の丘〜甘樫丘へ

★ 天岩戸神社 

15時30分、天香久山南麓の、天照大神を祀る「天岩戸神社」に着く。 天照大神が岩戸隠れしたという有名な「天の岩戸」伝説の舞台。その割には貧弱な神社。里の裏山にある寂れた社といっ様子。近くまで民家が迫り、神々しい雰囲気は全く無い。
ここが奈良の飛鳥だから真実味を帯びるが、飛鳥の地でなかったら「しょうもない、物まねしやがって・・・」となるんですが。

神話の世界のお話なので、何処にあってもよいのですが、やっぱり宮崎県の高千穂でしょう。
「ここが天の岩戸だ!」と称する場所が全国に十箇所以上あるそうです。

★ 岩戸隠れの岩 

裏にまわると、竹やぶの中に巨石が四個それらしく転がっている。これが洞窟への入り口なんだろうか?。チョット貧弱では。かぐや姫が出てきそう・・・。 天岩戸神社の案内板には

「天香久山南麓、南浦集落のほぼ中心に南面して鎮座し、天照大神を祀る。 「古事記」「日本書紀」の神話に見られる天照大神の岩戸がくれされた所と称し、 今もなお巨石四個があって、大神の幽居した所と云える岩穴を御神体とし神殿はなく、 拝所のみという古代人の原始的な祭祀形態を残している。玉垣内には、真竹が自生するが、これを往古より七本竹と称し、毎年七本ずつ生え変わると伝えられている」
と書かれている。

★ 香久山 

南側から眺めた香久山です。「天の岩戸」にはがっかりしたが、調べていると面白いことがわかった。
宮崎県高千穂町にある天岩戸神社が有名ですが、なんとその周辺に「天香山(605m)」「天香久山(599.7m)」が存在している。「国見の丘」まであるんです。
これは謎だ!。九州から東征した豪族が、征服先の大和に故郷の伝承を残したかったんじゃないのか?っていう疑問がわいてくる。

★ 雷の丘(いかずちのおか)1 

香久山から甘樫の丘へ向かう。次の目標は、途中にある「雷の丘」。何処だろう?、なかなか出会わない。ふと横を見ると案内板があった。もう少しで通り過ぎてしまうところだった。 以下は案内板の内容です。
「雷丘(いかずちのおか)
     大君(おおきみ)は神にしませば
   天雲の雷の上に庵(いほ)りせるかも 柿本人麻呂
大君は神でいらっしゃるので、天雲の中にいる雷の上に仮の御殿をお造りになっていらっしゃることだ
     解説
人麻呂が「天皇、雷丘に出でます時」に作ったと題する歌で、天皇とは一般に天武天皇のこととされている。「日本書紀」や「日本霊異記」に、雷神の降臨する説話を伝える聖なる丘であったことが記されており雷丘の名もこれに由来しているらしい。」

★ 雷の丘 2 

高さ20m程で、「天雲の中にいる雷の上に」にしては低すぎるし、「御殿をお造り」になるには狭くみすぼらしい。

階段があるので、とりあえず上がってみる。平たい丘で、何んにも無い。正面に「香具山」を望める。あまりに貧相すぎるせいなのか、植林されている。数年後は雰囲気が変わっているかも。

平成17年(2005)11月、奈良文化財研究所が発掘調査した結果、5世紀後半の円筒埴輪片が多数出土。 しかし古墳や宮跡などの遺構は見つかっていない。中世に山城が築かれ、その時に削られ破壊されたそうな。飛鳥時代にはもっと高くスケールが大きかったものと思われるので、それなら天皇の行幸も頷けます。

★ あまかしばし 

雷の丘から南へ少し下り、飛鳥川にかかる「あまかしばし」を渡ると「甘樫の丘」は直ぐだ。

「あまかしばし」の横に、小さな鉄製の別の橋がかけられている。これって何でやろう?。「あまかしばし」は古すぎて、渡るのが危険なのかナ?

6: 甘樫の丘(あまかしのおか)

★ 入り口 

6時着、ほぼ飛鳥の中心地にあり、眼下に飛鳥の里が一望できる丘陵。
「甘樫岡に立つと飛鳥の展望は美しい・・・」で始まる門脇禎二さんの名著「飛鳥 その古代史と風土」(吉川弘文館)を読み、ここだけはぜひ立ち寄ってみたいと思っていた。標高148mの小高い丘で、丘全体が国営飛鳥歴史公園になっている。そのためか良く整備され、広い遊歩道、展望台、休憩所、万葉の植物観察、ウォーキングなど市民・観光客の憩いの場所となっている。逆に展望以外は、古代王朝のロマンを感じさせてくれるものは何も無い。
国営飛鳥歴史公園公式サイト
甘樫丘地区マップ
上記サイトでキャラクター「たいしくん」と「あすかひめ」を見つけました。これがめちゃ可愛い!、「せんとくん」なんて足元にも及ばないぞ。

★ 頂上の甘樫丘展望台 

広い遊歩道を5分ほど歩くと頂上の展望台に着く。遠く葛城・金剛の山並みから、大和三山、飛鳥の里の眺望には絶好の場所。古代史の舞台が一望できる。ベンチに座り、眼下に広がる飛鳥の地を眺めながら、古代王朝時代のイメージに浸るのも悪くない。高松塚古墳のある檜隈、栗原などの南方は樹木に遮られ見られないのは残念だ。 途中の遊歩道には万葉植物に由来する樹木が「これ何の樹?」と質問プレートがかかっている。プレートを、めくると答えがでる仕組み。丘全体に、万葉集・古事記・日本書紀に由来する万葉植物が40種類あるそうです。 少し冷え込んできた。こんな寒い時なので、近くに住むという爺さんと俺の二人だけでした。爺さんいわく「ここはいつ来てもいいのう!」。桜のシーズンが最適だそうです。

   

★ 畝傍山を望む 

遠く二上山・葛城・金剛山系の山並みを、その手前右側には畝傍山を望む。さらにその手前に石川池、和田池。この方面には丸山古墳、植山古墳や、多くの天皇陵が散在しています。

★ 畝傍山と耳成山 

北西方向を見渡せば、畝傍山と耳成山が。その間には、今観光地として賑わっている今井町がある。その奥にかすかに見えるのが昨年末に登った生駒山でしょうか?。ここから見えるのならあちらからも望める。ぜんぜん気にかけなかった。その時は「飛鳥」とか「古代王朝」なんて念頭にもありませんでした。 この正月に春日原生林を散策し、それから奈良・飛鳥の「日本のまほろば」に興味が沸いてきた。

★ 耳成山と香久山 

北側を眺めれば、耳成山と香久山が平坦な大和盆地にポッコリ浮かんで見える。150mくらいの低い山ですが、何処からでも見え、目立つ存在。古代人に親しまれ詠われたのも頷けます。

現在はのどかな田園風景が広がっていますが、この地でかって日本の国造りの歴史ドラマが展開されたのだと思うと感慨深いものがあります。

★ 音羽山方面 

東側をみれば音羽山がそびえ、その手前の民家が点在する辺りには飛鳥寺、乙巳の変(大化の改新)で有名な飛鳥板蓋宮、聖徳太子が生まれた橘寺、川原寺などの歴史遺跡がある。

7世紀前半、蘚我氏の全盛時代で朝廷内を牛耳っていた。蘇我蝦夷・入鹿親子は天皇の住む宮をも見下ろすこの丘の上に大邸宅を建て、権勢を誇ったという。645年6月12日、中大兄皇子・中臣鎌足らは飛鳥板蓋宮で三韓朝貢の儀式を偽装し、入鹿をおびき出し誅殺する。丘上の蘇我蝦夷軍と飛鳥寺に陣取った天皇家側とがにらみ合うが、劣勢を悟った蝦夷は邸宅に火を放ち自害してしまう。
歴史の大転換となるシーンがこの目の前で展開されたのです。

★ 川原展望台 

川原展望台より畝傍山方面を眺める。反対側には「万葉植物花壇」がある。

甘樫丘を降り岡寺駅に向かう。周辺は広い幹線道路が走り、新興住宅が立ち並ぶ。歴史の香りはゼロです。20分くらい歩いて、17時20分岡寺駅へ到着。タイミングよく阿部野橋行き急行がきてくれた。お疲れ様!

  2013/2/18 記