春日山原始林

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奈良県  2013/1/1(火曜日,元旦)

かねてより決めていた春日山原始林を歩くことにした。神の山に浸り,神聖な気持ちで年の初めを迎えたかった。本屋に行き山関連の書籍を探すが,春日山原始林のコースが載っている本は見かけない。ネットで大雑把に調べ,メモし出かける。
予定は春日大社に初詣し,柳生街道を歩き,春日山の裏を廻り若草山へ出,そこから東大寺へ降りるコースを想定している。

総歩数<31645>、<23.7km>、<972kc>、<14.5EX>
 

 

1: 春日大社参道

★ 参道入り口 

正月元旦朝9時5分,近鉄奈良駅に到着。
やや寒いが,天気快晴。初詣には絶好の日和。これから春日大社にお参りし,目的の春日原始林周回の山歩きへ向かいます。

★ 猿沢の池 

参拝道の直ぐ横に「猿沢の池」がある。向こうに見えるのが興福寺の五重塔。この辺りから向こう一帯が広大な奈良公園。春日大社も,東大寺,若草山も公園内にある。春日原始林も含め「世界遺産」となっている。そしてこの池の横が奈良の旧い街並みが残る「ならまち」である。

★ 一の鳥居 

池の横の階段を上ると,春日参道の「一の鳥居」が見える。この辺りはまだコンクリの舗装道。
朝早いせいか,まだ参拝する人は少ない。昼から夕方にかけ参拝客で埋め尽くされる。

   

★ 参道の鹿 

公園全体に鹿が。鹿も人に慣れたもので,”煎餅ちょうだい”とお辞儀し迫ってくる。焦らすと,服を噛み引っ張るヤツもいる。おしりに突っかかるヤツもいる。子鹿にやろうとすると,大鹿が素早く横取りする。
周辺一帯に約1200頭生息しており,国の天然記念物に指定されているが,れっきとした野生動物である。 春日大社創建の際、鹿島神宮(茨城県)の祭神が神鹿に乗ってやってきたことから,鹿は神使として古くから大切にされ保護されてきた。サッカー鹿島の”アントラース”というのは鹿の角という意味らしい。知らんかった。

2: 春日大社

★ 参拝

9時50分着,早朝なのに,神社内はかなり混んでいた。これから夕方にかけ,身動きできないくらい混雑してくる。
神社のすぐ横がハイキングコースへの道へ続いているが,今ならバックしてその道へ向かえる。混んでくると一方通行になり,かなり遠回りさせられる。ちょうどいい時間だだった。

★ 世界遺産登録

両側に石灯籠が並ぶゆるやかなカーブの参道は約1キロ弱ほど続いている。参道の終わる神社前には「二の鳥居」と世界遺産登録を示す石碑がある。

★ 上の禰宜道(ねぎみち)

春日大社の混雑を抜け,来た方向と逆へ進むと「若宮神社」がある。そこを抜けると,神社の神聖な雰囲気が漂う静寂な道が続く。
かって春日の禰宜(神官)たちが春日大社へ通った道だそうで、高畑町方面から3本の道がある。「下の禰宜道(ささやきの小径)「中の禰宜道」,そしてこの「上の禰宜道(ねぎみち)」。
近くの高畑町には、志賀直哉をはじめとする多くの文化人が住み、愛した住宅地で、新薬師寺をはじめ、志賀直哉旧居などがある。しかし寄り道しないで先を急ぐことに。

★ 山へ向かう

神社の境内を出,春日山の横へ回ると広い舗装道が現れる。神聖な世界から世俗の世界へ戻った境地だ。この先に柳生街道がある。

3: 柳生街道へ

★ 春日山遊歩道 

ここで分岐する。春日山原始林の中に入っていく「春日山遊歩道」と,春日山原始林の脇に沿って進む「柳生街道(滝坂の道)」。どちらにするか迷ったが,見所の多いい後者を選んだ。真っ直ぐ進めば「春日山遊歩道」へ,「柳生街道」はちょっと分かりにくいが,ここの横を少し後ろに下り,九十度方向転換して進む。

★ 東海自然歩道 

「東海自然歩道」の標識が。今は東海自然歩道になりハイキングの道になっている。こした案内標識があちこちにあり,迷うことはない。

★ 山道へ 

集落を抜け、ようやく山道らしくなってきた。これが「柳生街道(滝坂の道)」への入り口。
春日山と高円山の間の谷川沿いにあり,奈良と柳生の里をつなぐ近道。本能寺の変で堺にいた徳川家康が急遽三河へ帰る時にこの道を抜けたといわれる。また古い石像がたくさん見られる石仏の道でもある。

   

★ 立ち入り禁止 

街道の横が春日原生林。神の山なのか,あちこちに「立ち入り禁止」の標識が立っている。春日大社の山として神聖視され、樹木伐採が千年以上に渡って禁じられてきた。

4: 柳生街道(滝坂の道)1

★ 石畳の道 

江戸時代の初めに奈良奉行により敷かれた石畳が今も続いている。文化庁選定歴史の道百選にも選ばれています。「石畳」といっても,整然と敷き詰められたものでなく,でこぼこ道で,歩きにくい。しかしそれがまた歴史を感じさせてくれる。こうした石を敷き詰めた小道が1キロ以上続く。
奈良と柳生を結ぶ古くからの街道で,宮本武蔵や柳生十兵衛、荒木又右衛門,沢庵和尚など歴史上よく知られた人たちが行き来したそうです。ちなみに「柳生の里」とは,「柳生石舟斎」が開いた柳生新陰流の剣豪の里で,徳川将軍家の兵法指南役として重んじられた。「柳生十兵衛」、あだ討ちの「荒木又右衛門」など名だたる剣豪を輩出した山里で,若き「宮本武蔵」も剣の修行のためこの里を訪れ柳生道場で指南を受けたそうです。

★ せせらぎの清流 

鬱蒼とした雑木林の中,小岩の間をさらさら流れる清流が石畳の道に沿って続く。これが「能登川」です。
ひなびた石畳の小道と清流のせせらぎ、この自然を味わいながらのんびりゆっくり進む。1時間以上歩くが,誰とも出会わない。世俗を忘却し,何かを感じさせてくれる「哲学の道」です。宮本武蔵もこの道で,何かを会得したのかもしれない・・・。

★ 寝仏 

どこが「寝仏」なのか,イマイチよくわからなかった。ただの小岩が転がっているだけ・・・。
後で調べたら,斜面上の岩に彫られていた大日如来像が転落したもののようです。そういえば「落石注意」の札をあちこちに目にする。今にも落っこちてきそうな岩もあり,やや物騒だ。

   

★ 夕日観音 

斜面の上方になにやら岩に掘られた仏像らしきものが見える。「夕日観音」と案内板がある。
柳生の人が奈良に寺詣や商売に行き、夕方帰えり道で斜面上の観音さんにちょうど夕日が当たる。夕日に映えて美しいところからこの名が付けられたそうな。

5: 柳生街道(滝坂の道)2

★ 死木 

所々で,こうして倒れ横たわり朽ち果てようとする大木を目にする。神の山なので人の手を加えることができないのだろうか?。この死木も,長い年月をかけ又自然に帰ってゆく,これが輪廻転生なんだナァ,とちょっと哲学的になってくる。

★ まだまだ続く石畳 

あたりは杉や楓の老木がうっそうと生い茂り薄暗い。この道はまた平安、鎌倉時代に南都七大寺の僧侶達の修行場でもあったようです。

★ 朝日観音 

大きな石仏現れる。案内板には次のように書かれている。「対岸の岸壁に彫られているのは朝日観音です。これは早朝,高安山の頂からさしのぼる朝日にまっさきに照らされることから名付けられたもので,実際には観音ではなく,中央は弥勒仏,左右は地蔵仏です。この石像には文永2年(西暦1265年)の銘があり,鎌倉時代の石彫りの代表的なもので,この下の夕日観音と同じ作者と思われます」。

昔この街道を行き来した人が,朝はこの朝日に照らされる朝日観音を拝み,帰りは西面する夕日観音を拝んだことからくるようです。この滝坂の石仏たちは道標であり道中の無事を守る仏だったんです。

6: 首切地蔵から地獄谷石窟仏へ

★ 首切地蔵 

11時25分,ここまで来ると石畳もようやく終わる。 立て札があり「荒木又右衛門がためし斬りしたと伝えられる首切地蔵です。彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われます。谷川沿いに登ってきたこの道は滝坂道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行により敷かれた石だたみの道は、昭和のはじめまで柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬の背につけて下り、日用品を積んで帰っていくのに使われたものです。」と書かれている。
首から垂れる赤い布切れは,試し切りの血の象徴でしょうか。さすが荒木又右右衛門,人でなく地蔵さんを試し切りしたんですネ。でも罰当たりに・・・

★ 首切地蔵休憩所 

こうした綺麗な休憩所が要所々に設置されている。清潔なトイレもある。

ここからまた道が分岐する。春日山石窟仏を通り奥山ドライブウェイへ抜ける近道。もう一方の道が,新池から地獄谷石窟仏へ続く道。地獄谷石窟仏を見にいくことに。

   

★ 新池 

能登川源流の地獄谷新池に出る。紅葉が特に美しいそうです。
それはともかくここら一帯”地獄谷”とは物騒な名前だ。調べてみると,奈良時代以降、都で死人が出ると遺体をここまで運び風葬した。”風葬”とは聞こえが良いが、要するに放っぽり捨てただけ。山中の放置された遺体を鳥がついばみ、いかにも恐ろしい光景だったので「地獄谷」と呼ばれるようになったという。想像さえしたくない、ホンマに物騒だ処だ。後で知ってよかった。柳生街道も首切地蔵で引き返しだナァ,これも殺生だが。
ここでも春日山石窟仏へ向かう方向と,地獄谷石窟仏へ向かう方向へと分かれる。

★ ぬかるみの坂道 

このあたりぬかるみ道が多いい。最近雨降ったようにも思えないのだが。今回で初めての山道。歩きにくい山道を10分くらい登っていく。

★ 奥山ドライブウェイ 

急にドライブウェイが現れる。地獄谷石窟仏はこのドライブウェイを横切り,写真の看板のある所から入って行く。
ここもぬかるみの道で,起伏の多い歩きにくい道を約六百mくらい進むと地獄谷石窟仏がある。

★ 地獄谷石窟仏 

12時到着。ここで3人目のご夫婦に出会う。
平安時代の後期を代表する石仏で国の史跡に指定されている。凝灰岩をくり抜いた石窟で、線刻の仏像が彩色されている。「聖」が住んでいたという伝承があり「聖人窟」とも呼ばれる。
この道をさらに東へ進んでいくと「剣豪の里」へ続くが,ここで折り返し若草山へ向かうことに。

7: 裏春日山

★ 標識 

要所々に立てられる親切な標識。トイレのあり場所が確認できる。これが一番ありがたいかも。綺麗な休憩所もあり,今までの山にない心遣いを感じさせる。

この近くにあるはずの史跡「春日山石窟仏」を見に横道に入ったが,見つけられなかった。案内板があったが,そこから先どう行くのか判らなかった。残全です。

★ 車道 

奥山ドライブウェイあたりからは,車の通れるぐらいの道幅に。こうした広い道が若草山山頂まで続いている。しかし車の進入は制限されているようで、検問所がある。ネットなどの地図には「交番」となっているので,警察官が常駐している交番を想像していたが,どうもそうではないようだ。公園係員の詰所といった様子だ。

★ 鶯谷休憩所 

休憩所の横に「春日山原始林」が世界遺産であることを示す石碑がある。
東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城京跡とともに、1998年「古都奈良の文化財」の一つとしてユネスコの世界遺産に登録されたようです。

   

★ 大原橋 

本道からそれるが,この赤い欄干の大原橋を渡っていくと六百m位のところに「鶯の滝」がある。行って見ることに。

8: 鶯の滝から若草山へ

★ 鶯の滝 

10分位歩くと,滝の標識があり,下へ降りてゆく階段がある。階段を降りて行くとすぐ滝に出会う。高さ10m位の小さな滝。裏山へゆくとどこにでもありそうな滝です。落水の音が鶯の鳴く音に似ていることから名付けられたようだ。近くに興福寺別院「歓喜天」がある。ここの僧侶たちが修行した滝として名を成したのだろうか?。ところがこの別院,最近災害に合い取り壊されてしまっている。
今12時50分、引き返し本道へ向かう。

★ 若草山への道 

滝から引き返し,元の道に戻る。ブナや杉に囲まれたゆったりとした平坦な道が続く。すれ違う人もおらず,のんびりマイペースで進む。

★ 花山・地蔵の背 

これって何だろう?。ネットで調べたがよくわからなかった。
春日山という山は無く,花山,御蓋山(みかさやま),若草山の三つを合わせて春日山と呼ぶようです。花山が一番高い山。ここがその背中と言う意味だろうか?

★ 休憩所 

また休憩所がある。

9: 若草山

★ 若草山三重目 

1時40分、やがて鎌研交番所が見えてきた。交番所といっても単なる詰所だが。その奥が駐車場になっている。若草山342mの頂上らしい。
「若草山三重目」ってあるが,三重目って山が三重になっていることだろうか?。今まで奈良公園の下から見ていたのは一重の山だったようだ。あれが全貌でなく,その奥にさらに二重の山があったのだ。こうみると結構高い山なんですネ。 遠方に見えるのが先日登った生駒山。そして二上山。眼下に奈良盆地が広がる展望抜群の山頂です。山頂から見る奈良の夜景は、新日本三大夜景のひとつに認定されているそうです。
またこの山頂には前方後円墳の史跡鶯塚古墳がある。

★ 春日山 

こちらが南方にあたり,春日大社背後の花山497m,三笠山(正式に御蓋山(みかさやま)297m)が眺められる。若草山342mを加え,この3つを「春日山」と呼ぶそうです。

それにしても寒くてゆっくりしていられない。交番所横に麓に下りてゆく春日山遊歩道への分岐がある。そこから東大寺目指して降りてゆくことに。

★ 遊歩道 

これが奈良公園から若草山頂上へ登っていくハイキングコースの道。正月元旦のせいか,ほとんど人影を見かけない。広くゆったりした道をスイスイ下りれる。季節外れなので周りは何も見るべきものは無し。

   

★ 防火 

少し前にサイレンの音がしていたが,これだったんだ。消防車が止まってて,数人の消防士がホースを山の上方に引き込んでいる。「山火事ですか?」って尋ねたら,「ちょっと木がこすれて・・・たいした事ないです」とか。
どこの山へ行っても「火に注意」の呼びかけをよく目にする。火事は山にとって最大の敵なんですネ。

   

★ 下り道 

刺激の無い道を下っていく。横を流れる小川のせせらぎの音だけが爽やかな感じにさせてくれる。
やっぱり一月は寒い!

★ 月日亭休憩所 

「月日亭」という高級そうなお食事処があり,その入り口に写真のような綺麗な休憩所がある。
しっとりした林に囲まれバックに小川が流れ,春か紅葉のシーズンならゆっくりとくつろぎたいところだが・・・今は寒いヨ!

   

★ 分岐道 

真っ直ぐ下へ進めば奈良公園へ出られる。右に進めば若草山の前を通って二月堂の方へ抜けられる。二月堂へ行ってみることに。

10: 奈良公園

★ 二月堂 
ここが「お水取り(修二会しゅにえ)」で有名な二月堂。二月堂創建の752年より約1250年、一度も途絶えることなく続けられている儀式だそうです。 旧暦2月の3月1日から14日に行われることから「二月堂」と呼ばれます。 私も数年前一度見たことがある。お水取りを見に来たわけではなく,たまたま来てお堂を見上げていると,次第に人が集まってくる。そのうちカメラマン達が場所取りを始めた。様子を聞くとお水取りの松明の儀式が行われるそうな。午後4時頃だっただろうか。 絶好の場所だったので移動することもできず,ズーッと開始の7時まで立ちぱなしで待っていた。寒くて寒くて震え上がっていたのを思い出す。広場は人一杯で身動きできない。階段の方まで詰め掛け,肝心の松明を目にすることもできなかった人も多かっただろうと思う。 先端を火で燃やした大松明が,お堂横の階段を駆け上がり,正面の舞台上で火の粉を撒き散らす。直ぐ下で火の粉を”ありがたや”と浴びる人達がいる。火の粉を浴びると無病息災でいられるそうで、毎年多くの参詣者が集る。壮観な儀式だ。

★ 若草山 

これが下から見上げた若草山。先ほど景色を眺めた山頂は、三重になっているのでここからは見えない。
まだ見たことないが,若草山の山焼きは奈良を代表する風物詩。1月の第4土曜日に実施されている。例年、午後6時前後から本焼きが始まり,30分〜1時間くらい燃えてているそうです。いつか見に来たいが,なにしろ寒い時期なので。

★ 東大寺 

午後3時,二月堂から坂道を下ると東大寺に。春日大社への初詣客が帰りに立ち寄るので,ここも混雑している。でっかな大仏殿だが,それでも創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されているそうな。現在の建物は1709年に再建されたものである。

何度も来ているので素通りして,帰ることに。

   

★ 中谷高速餅撞堂 

よくテレビでお目にかかる高速餅つき堂。
いつものごとく,お客さんの集まり具合をみてショーを始める。今日はいつもより短かく、あっさり終わってしまった。
奈良公園に来ると,帰りは必ずここの餅を食べて帰る。1個130円。急いで頬ばったものだから,顔に黄な粉がへばりついて困った。急いで近鉄奈良駅の地下トイレへ。 今年も(は・・・)良い年でありますように・・・

  2013/1/12 記