比叡山

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848m、京都府・滋賀県  2012/12/6(日)


修学院駅から雲母(きらら)坂を登り、山頂-延暦寺-坂本へ降りてゆく縦走路コースを選択。

7時に家を出、総選挙の投票を済ませ京都へ向かう。8時35分京阪:出町柳駅(終点駅)に到着

総歩数<25819>、19.3km、650kc、9.0EX


 

1: 叡山電車で

★ 叡山電車:出町柳駅 

8時半、京阪電車終点の「出町柳」を降りる。すぐ地上が叡山電車の始発駅「出町柳駅」だ。田舎のローカル駅風で、これから山へ入るんだ、っていう気になってくる。

比叡山・鞍馬山方面への人気ハイキングコースで、また日曜日とあって電車内はハイキング姿の人が多い。

★ 修学院駅前から望む 

4つ目の駅「修学院」で下車。周辺はまだ街中で、スーパーやマンションが並ぶ。遠くにはこれから登る比叡山の勇姿が見える。山への入り口がなかな見つからなくて困った。しばらく歩くと川に出合う。これが「音羽(おとね)川」だろうと、大体の見当をつけて川沿いを進む。

★ 音羽(おとね)川 

川沿いの舗装路を進む。雨の心配はなさそうだが、曇り空。正面には比叡山山頂が俺を待っている。

   

★ 川掃除 

地元の人達が川掃除。師走だナァ、っていう感じにさせてくれる。

★ 山へ 

ようやく街中を抜け、音羽川に沿って進む。
日曜日の朝なので、ウォーキングする人、犬と散歩する人などに出会う。

2: 雲母(きらら)坂

★ 雲母橋

案内板と分岐点となる橋が見えてきた。これが「雲母橋」で、この橋を渡ると「きらら坂」の登り道に入る。平安時代以来、比叡山と京の都を結ぶ重要な道だったようです。坂にはさまざまな名がつけられている。都から勅使が比叡に参向するために使ったため「勅使道」、修行僧が通るので「禅師坂」とも。また本坂に対して「西坂」、「表坂」、水飲(みずのみ)を越えるので「水飲越」、途中にあった無動寺の不動尊に因み「不動坂」とも呼ばれたという。
イノシシ・クマの出没注意書きが。何処の山でも見かける。これからの山登りには、痴漢避け用の大音量がだせる防犯ブザーが必要かも。クマさんも痴漢にされてはかなわんだろうナァ・・・。

★ 雲母(きらら)坂

読めるかナ。こう書いてあります「雲母坂は、平安時代より比叡山と都を結ぶ主要路として賑わい、都からの勅使が通ったことから勅使坂とも呼ばれました。また、法然、親鸞らの名僧をはじめ多くの人たちもこの坂を行き来し延暦寺で修学した。ました。比叡山の山法師が日吉神社の神輿を担いで都に強訴に押し掛けたのもこの道とされ、南北朝の戦乱では、この坂が戦場となり多くの将兵の血に染まりました。雲母坂の名は、付近の花崗岩に含まれる雲母のきらきらした輝きからこう呼ばれたとも言われています」

★ 修学院離宮

橋を渡り登り始めると、道の左側に金網の柵がずっとズーッと続く。この柵の内は宮内庁管轄の「修学院離宮」。嵐山近くにも桂離宮があるが、ここもかって天皇家の庭園だったようだ。3つの御茶屋からなり、田園、松並木、池などをもつ広大な庭園のようです。「修学院」とあるので、皇室のお方が勉学された所かと思ったが、単にこの周辺の地名「修学院村」からくるらしい。

★ 皇宮警察

ここから修学院離宮の外縁を巡る登山道を登る。時々右手には、鉄条網と「立入禁止 宮内庁」の看板が現れる。京都御所、桂離宮などと同様、「皇室用財産」として宮内庁が管理しているのだ。 金網の柵がどこまでも続き、ズーっと宮内庁皇宮警察に監視されているようだ。
なお、離宮内の見学には、事前に京都宮内庁へ参観願を出す必要があるそうです。また18歳未満の者の見学はできないそうだ。要するに18禁、ADULT Only・・・なんでヤ

★ 山道 1

このあたりは結構きつい坂が続く。石ゴロゴロで歩きにくい。

★ 山道 2

こんな道幅の狭い所も。両足で立つのがやっと。人とすれ違う時は、土壁にへばりつかなければならない。長い年月をかけ、雨水で削り取られいったのだろうか。法然、親鸞らもこうした道を通ったと思うと感慨深いものがある。

3: 登り道

★ 落葉道 

かすかに期待していたのだが、周辺の山間には紅葉は残っていなかった。散ってしまっている。その代わりに、歩く道は紅葉のジュウタン。ザクザク踏みしめながら歩くのは心地ち良い。

★ 中腹 

中腹くらいだろうか、この辺りから坂道も緩やかになってくる。正面が、目指す山頂。朝のNHKの予報は「京都方面、晴れ後夕方より曇り」。今、10時だが、もう夕方なのかな、っていう雲行き。

★ 水飲対陣跡 

とりあえずの目標地点に到達。

『太平記』によれば1336年6月7日延元元年(1336)6月、湊川の戦いに敗れた官軍は、足利尊氏の攻撃を防ぐため京を捨てて比叡山のこの「水飲の地」に立て篭もる。後醍醐天皇の忠臣・千種忠顕は西坂(雲母坂)より攻め上った尊氏軍のため力尽き、この地で戦死する。
「水飲の地」が少し降りたところにある、というのを後で知った。でも、「千種忠顕」なんて知らんかったナァ・・・

   

★ 絶景 

木立が切れて、京都市内が一望できる。曇っているが雨の心配はなさそう。はるか向こうに見えるのは一ヶ月前に登った愛宕山だろうか。これで京の都を両側から見下したことになる。

★ 千種忠顕碑 

しばらくゆるい坂を登ると、立派な「千種忠顕碑」に出会う。

   

★ 杉木立 

千種忠顕碑を後にし、歩き始めると、新道と旧道の二手に分かれる。新道を選んで進むと、歩き易い緩やかな登山道が続く。杉木立に囲まれハイキング気分。身体は若干汗ばんでいるが、山の冷たい空気が心地よい。

4: 展望台から山頂へ

★ 展望台 

11時30分、電波塔のある展望台に到着。雲が切れて晴れ間がのぞいてきた。やっぱりNHKの予報は正確だ。京都市内を展望するなら、比叡山でここが一番の場所。ベンチも置かれ、休憩に最適。おやつを食べながらしばらく休憩。横になると寝てしまいそう。今日は日曜日、おじさんおばさんの登山(ハイキング?)グループが行列なして登ってくる。「こんにちは」とお互いに挨拶交わすのが、この世界のエチケット。

★ ケーブル比叡駅 

展望台のすぐ近くにケーブル比叡駅が見えてきた。えらくひっそり静かだナァ、と思ったら、冬季運休に入ったばかり。12月3日〜3月19日まで運転休止の立て看板。3月まで動かない。12月前半までは紅葉見物で賑わうだろうが、中旬を過ぎると紅葉も散り人出も無くなるようだ。登山には、この季節が最適なんだが・・・登山にはケーブル必要ないよナァ。

★ ススキ越しの京都市内 

ケーブル駅から望める京都市内。ここもなかなかの展望場所。遠望鏡が数台置かれている。

   

★ 山頂への道 

車の通れるような広くなだらかな道が続く。ここも落ち葉の散歩道。

★ スキー場 

少し登ると広々とした場所に出る。ここが比叡山スキー場らしい。今でもやっっているのかナ?。ロッジやリフトもあるのでやっているのかも。それより、雪積もるんだろうか?。

天気も良くなり、見晴らしも素晴らしい。ススキに囲まれた草むらにしばし寝そべる。このスキー場のすぐ横に「つつじの丘」の案内表示もあるが、今はその季節ではない。

★ 遠望 

さらに登って見下ろスキー場。

5: 比叡山山頂へ

★ 山頂 

山頂は、こんな広場になっている。バス停、マイカーの駐車場、そしてこれまた閉園しているが庭園美術館「ガーデンミュージアム比叡」。モネ、ルノワール、ゴッホら印象派の作品45点と約1500種の草花が植えられているとか。
夏場は多くの人で賑わうだろうが、このシーズは車も人もほとんどいない。向こうのこんもりした丘が、実際の比叡山最高部らしい。行って見ることに。

★ バス停 

定期バスのバス停、これも運休中。

★ 琵琶湖 

広場からは琵琶湖が見える。ここからは、比叡山を挟んで東に琵琶湖、西に京の都を見下ろすことができる。しかし観光地化されてしまっているので、山登りの爽快感は沸いてこない。

★ 大比叡の山頂 

駐車場広場から見えたこんもりした丘に登ってみた。何〜ンにも無い。山頂だという標識も無く、だだの小さい広場。ちょうど12時半なので数人が食事している。

★ 三角点 

何かあるだろうと探したら、建設省国土地理院の三角点を見つけた。やっぱりここが848mの霊峰比叡山の山頂なんだ(「大比叡」というらしい)。

★ 眺め 

山頂付近での眺め。京都市内は見えない。鞍馬山から丹波方面が遠望できる。朝方の曇り空から一転し、絶好の山行き日和になってきた。

6: 延暦寺めざして下山

★ 杉木立 

山頂から延暦寺方面の下り道が分りにくかった。やっと見つけた標識に従い下山開始。緩やかな歩きやすい山道が続く。
昔、延暦寺の僧侶達もこの道を通って都へ強訴に赴いたのだろうか?。弁慶も通ったんだろうか?、杉木立の間から牛若丸がひょこっと出てきそうな雰囲気だが。

★ 休憩所 

ベンチがかれた休憩所に出会う。見晴らしもよさそうなので、ここで一服し、巻き寿司の食事タイムにする。しかし寒い、冷風が吹きつけ体が冷えてきた。早く歩きたくなってきた。

   

★ 絶景 

ここもも絶景が。京都北部の市街地が少し見えるが、山また山。丹波方面の山が見渡せる。

★ 延暦寺境内 

寒さを吹き飛ばそうと、早足で降りていく。
様子からすると、どうもこの下山道は延暦寺境内の道のようだ。この辺一帯は延暦寺のテリトリーに入るらしい。
「しばらく行くと、寺の料金所があります。下山するだけなら、そのように申し出てください」という意味の立て札を見つける。申し出しなかったら入寺料でも取られるんだろうか?

★ 山王院堂 

山王院堂という寺の施設に出会う。ここらあたりから本格的に寺境内の雰囲気が。ここから西塔(徒歩30分)へ、さらに奥の横川(「よかわ」と読む、徒歩90分)へ向かう入り口になるようです。

7: 比叡山・延暦寺

★ 諸堂巡拝券 

ありました。道の横手に小さな小屋が。さりげなく通り過ぎようとすると、「どちらへ行かれますか?」と声を掛けられた。どのみち、この道を通るしかない。マァ、最初から延暦寺も見たいと思っていたので、550円の巡拝券を買う。「ただ下山するだけです」って云えば、払わんで済むんかナ?。

小屋の正面に写真の赤い建物「阿弥陀堂」が見える。下山口から来たので、ここが裏手の入り口になるらしい。1時半

★ 阿弥陀堂 

正面から見た阿弥陀堂。中から読経の声が漏れる。堂内に入ってゆく人も見かけるが、信心薄い俺は先を急ぐ。

★ 寺の案内 

この辺りは「東塔」らしい。最澄、法然、親鸞、日蓮、道元、栄西、一遍・・・そうそうたるお方が修業を積まれた地。「日本仏教の母山」だと誇るのも故あるかな。武蔵坊弁慶が住んでいたのが西塔とか。

天台宗総本山の諸堂が点在する。「延暦寺三塔巡拝マップ」を見ると、とても一日では周れない広さだ。「横川中堂」を通る「東海道自然歩道」も有名なハイキングコース。春には・・・。

   

★ 国宝・根本中堂 

延暦寺の総本堂。信長により焼討ちされたが、1642年(寛永19年)家光により再建された。
威厳をもった佇まい。中へ入ってみることに。中は写真撮影禁止になっている。薄暗く厳かな雰囲気が漂う。覗き口のような所から中を覗く。なにやらローソクの薄火に照らされ仏様が鎮座されている様子だが、暗くてよくわからない。本尊薬師如来像の前には、開山以来1200年にわたり灯し続けられてきたという「不滅の法灯」があるらしい。

★ 下山 

2時、寺を去る。少し降りると法然上人得度の地「法然堂」がある。どなたかお住まいのようで、不似合いなパラポラアンテナと煙突が・・・。

8: 坂本もざして

★ 下山道 

これが琵琶湖側の坂本から延暦寺・比叡山への登山道。道幅も十分あり、緩やか。こちらからも登りやすいかも。

現在は、坂本からケーブルで延暦寺まで簡単に登れる。そのためか下山道はほとんど人を見かけない。かって賑わった参拝道のはずだが。

★ 丁半石 

愛宕山では各所に見られた丁半石が、ここにもあった。比叡山では初めて見かけた。もしかしたら見逃していたのかも。「十三丁」とあるが、頂上まで何丁だろうか。

★ 琵琶湖 

目の前に琵琶湖が近づいてきた。そろそろ終着点は近い。こういう風景を見ると疲れも癒される。

   

★ 石段 

長い石段を降りる。五百段位あるだろうか。これを登るのは大変だナァ。

★ 日吉神社 

石段を降りきると日吉神社の入り口に。ここも有名な神社で、正月の初詣には大混雑する。全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社。通称「山王権現」とも呼ばれる。また猿を神の使いとする。「日吉」はかっては「ひえ」と読まれ、比叡山とは日枝の山(ひえのやま)のこと。神代の昔から、比叡山の地主神として祀られた。最澄が延暦寺を建立し、比叡山の地主神、天台宗・延暦寺の守護神としてこの神社を崇敬。天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建されていった。元亀2年(1571年)織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰す。信長の死後、豊臣秀吉が再建・復興に力を入れる。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることからくるそうです。神社を穢したらいけないので、立ち寄らないことに・・・(~o~)

   

★ 桜通り 

この参拝道も関西では名だたる桜の名所。鳥居をくぐると両側一帯に桜が咲き乱れる様子は壮観だろう、一度訪ねたい。

また紅葉の名所として知られた景勝地。広い境内に約3000本ものモミジやカエデが秋の彩を添え、数多く散在する壮麗な社殿と紅葉が美しく調和し感動を与えるそうです。11月の一ヶ月間を「もみじ祭」と題し、下旬にはライトアップも行われるとか。

季節外れの訪れだったようです。

★ 京阪電車坂本駅 

神社を出ると京阪石山坂本線の終点坂本駅は直ぐ。ホームの椅子には座布団が。誰かの場所取りのようで、座りにくい。よく見ると「赤十字奉仕団」と書かれている。御奉仕ありがとう、と感謝しつつ座らせてもらう。

3時30分発の電車に乗り、浜大津乗換え、京都・三条駅へ。このライン初めて乗ったが、途中から京都の地下鉄東西線になる。乗り入れしてるんですネ。

5時半帰宅。総歩数<25819>、19.3km、650kc、9.0EX、もうチョット稼ぎたかった。

  2012/12/31 記