愛宕山 あたごやま

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942m、標高差855m、京都府
2012/11/19日(月)朝7時 天気晴朗、風穏やかし、気分爽快、イザ出発!。500mの二上山で苦闘した俺にとっては厳しい山になりそう。

登山コースは、清滝から正面参道を登り、下りは月輪寺を周る一般的なコースを選ぶ。秋の紅葉シーズンなので絶景を眺めれるか・・・

  

前編(嵐山〜登り中間点) | 後編(登り中間点〜清滝まで)

1: 嵐山・渡月橋から出発

京都の観光名所「渡月橋」越しに、これから目指す愛宕山が望める。
快晴の登山日和。さあ!行くぞ

★ 阪急嵐山駅 

朝8時10分阪急嵐山駅に到着。
900m級の山に自信がなかったので、体力を温存するため清武までは周回バスで行く予定に。駅前ロータリーにバス停がある。ところが予定時刻になってもバスが来ない。イラついたので歩くことに。歩き始めてしばらくすると、バスが通り過ぎていった。こりゃ、幸先良くないかな!、ってちょっと心配に。

★ 嵐山公園入り口 

遠くに見える愛宕山が俺を招いている。

   

★ 渡月橋上 

遠いなア。あそこまで行けるんか、とチョッと不安に。駅前のコンビにで昼飯買うのを忘れてた。どっかにコンビニくらいあるだろう・・・。

2: 嵐山観光名所を横目に

★ 野宮(ののみや)神社

縁結び、子宝安産、学問の神様を祀っている。そのせいか若い女性が多い。
佇まいは小さく、京都の神社にしては質素。しかし天皇家と縁深く、また源氏物語にも語られる由緒ある神社です。詳しくはここを参照

★ 落柿舎(らくししゃ)

茅葺の庵。松尾芭蕉の弟子、向井去来が晩年に過ごした所。売る予定だった柿の実が、その夜全て落果してしまったところから、去来が名づけた名前だそうな。

落柿舎の詳細は写真を。読めるかナ。
芭蕉もこの庵を訪れ「嵯峨日記」を著したそうな。
「柿食えば・・・」、あれは子規か?、法隆寺だったナ

遠くから見た落柿舎。落柿舎の上方に、ほんのチョッピリ愛宕山が望める。

★ 二尊院

8時55分着。「百人一首」で名高い小倉山の麓に位置する。総門をくぐれば石を敷き詰めた「紅葉の馬場」と呼ばれる参道があり、京都でも有数の紅葉の名所。ここの紅葉も一度は見てみたい所。余力があれば帰りに寄ってみよう。

3: 化野念仏寺(あだしのねんぶつ寺)その1

★ 参道の入り口 

今回の旅?の目的は、愛宕山とこのお寺。かねてより一度は訪れてみたいと思っていた。何かの映像で知ったのだが、あの小さな石仏の群は強い印象に残っている。

右の舗装路を進むと清滝から愛宕山へ向かう。天気快晴、すがすがしい早朝に仏さんと対面だ。丁度、開門の朝9時。入寺料500円払って中に入る。化野念仏寺の公式HPはここ

入り口横のお寺を紹介する立て札。読めるかナ。

入って直ぐの景色。紅葉満開の絶好の時だ、紅葉の真っ盛りのシーズンで、なんとも美しい。これから目にする異様な風景とは対照的。

   

正面が本堂

★ 竹の小道 

京都の観光ポスターやCMによく使われるそうな

4: 化野念仏寺(あだしのねんぶつ寺)その2

★ おお見よ!この眺め。これを鑑賞するために来たとは・・・(-_-;)。 

パンフレットによれば「約千百年前、弘法大師が、五智山如来寺を開創され、その後、法然上人の常念仏道場となり、現在、華西山東漸院念仏寺と称し浄土宗に属する。 「あだしの」は「化野」と記す。「あだし」とははかない、むなしいとの意で、又「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図している。 この地は古来より葬送の地で、初めは風葬であったが、後世土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離を悲しんだ所である。 境内に奉る多くの石仏・石塔は往古あだしの一帯に葬られた人々のお墓である。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没したいた。明治中期に地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられた。」

★ 南無阿弥陀仏 1 

境内には八千体もの石仏・石塔が所狭しと並べられている。

明治36年(1903年)頃、あだしの一帯に、何百年のも間風雨に晒され散乱埋没していた無縁仏を寄せ集めたそうな。朝きてよかった、夕方に来るところじゃないゾ。

★ 南無阿弥陀仏 2 

この一帯は、昔は風葬の地として知られた場所とか(風葬って?、風に晒す?)。要する野ざらしの死体捨て場。
”あだし”とは「はかない、むなしい」の意味だそうです。嵐山のイメージも一変してくるナ。
美しい紅葉に囲まれ、仏さんも幸せだろうか?

   

★ 西院の河原 

「賽の河原」?。河原内での撮影は禁止になっている。後でネットを見ていると、撮影後気分が悪くなった人が多いとある。俺、ヤバイな!。
この撮影禁止は「寺のためでなく、あなたの為ですよ!」という意味か。

空也上人の
    ”みどり児が河原の石をとり、
    あつめこれにて廻回の塔をつむ、
    一重つんでは父の為二重つんでは母の為・・・”
 から「西院の河原」と呼ばれるそうな。

毎年8月23・24日の両日には、これらの石塔石仏に灯を供える千灯供養が行われるそうです。
これも機会があったら見てみたい。

5: 清滝へ

★ 紅葉の山里 清滝 

トンネルを抜けると、そこは清々しい紅葉の山里だった。清滝です。 清滝トンネル出口、正面に愛宕山がお出迎え。トンネルを抜けると、京都とは別世界の清々しい山里だった。

★ 道標 

化野念仏寺を出てしばらくすると道標に出会う。清滝まで1.3kmとある。この辺りは東海道自然歩道に指定され、周辺には民芸調のみやげ物を売っているお店や民家がある。あの河原と違って、京都らしい趣をかもし出している。

★ 愛宕念仏寺 

しばらく行くと京都らしい雰囲気は薄れ、山間の雰囲気が漂ってくる。道側に愛宕念仏寺が見えてきた。「あたご」じゃなくて「おたぎねんぶつじ」と読むそうです。 天台宗の古刹。京都市内にあったものを、大正時代に山林の寄附を受けこの地に移された。1200体の羅漢が並んでいる寺として有名とか。未見。「羅漢」って何?。

   

★ 清滝トンネル 

愛宕念仏寺から少し行くと正面にトンネルが見えてくる。道しるべには「トンネルは500m、上の峠越えの道は700m」とある。しかしこのトンネルを人が通ってもよいのだろうか?、何も書かれてないので心配だ。ともかくエネルギーの消耗を少しでも避けるため、近道らしいトンネルに突入。



トンネルに入ると「白線の内側を歩いてください」と注意書きされている。人も通ってよいのだ、と安心する。後ろのほうで、ゴー音が響く。車のようだ、かなり遠方なのに直ぐ近くのような轟音。トンネル内で出会ったのは、この車一台だけ。歩いても歩いても出口が見えない。俺以外に人はおらず、明かりもほとんど差さない。気味が悪いことこの上ない。10分ほど歩いてヤット出口が見えた。 この清滝トンネルは、化野念仏寺に近いこともあって怖いところと、後で知ってゾーとした。もう二度と入らないゾ。

★ 清滝のバス停 

9時35分、阪急嵐山をスタートして1時間半。まだ体力は大丈夫だゾ。昼飯はどうするか?、コンビニは無さそう。頂上にはあるかも(#^.^#)

   

★ 京都の奥座敷:清滝 

茶店横の坂道を降りていく。下には清滝の家並みが。 愛宕山の東に位置し、清滝川に沿った景勝地。このシーズンが最適。愛宕詣での休憩場所となる。また京都の奥座敷といわれ、桜・紅葉の名所、夏は避暑地に

★ 渡猿橋 

清滝川にかかる朱色の橋「渡猿橋」を渡ると登山口は直ぐ近く。

6: 表参道登山ルートから登山開始

★ 表参道登山ルート 

紅葉に覆われた朱色の鳥居が見えてくる。ここが「表参道登山ルート」の登山口。愛宕神社の本宮は山頂にある。ここが本宮へ続く一の鳥居なのだろうか。愛宕山へ登ることは、愛宕神社へお参りすることと同じなのだろう。9時50分、サア!登ろう、いや参拝しに行こう。



愛宕神社のある山頂まで4.2kmの道しるべ。



「登山者の皆様へ」の心得書き

   

★ 嵯峨消防団の道しるべ 

嵯峨消防団が道しるべを立てていてくれる。愛宕神社には鎮火の神様が祭られている。消防団とは縁深いようだ。まだ40分の1地点、先は遠いナ。



このあたりはまだコンクリの硬く平坦な道だ。落下した紅葉の葉を踏みしめながら進む。登山の雰囲気は無い。



こんな緩やかな道が続く。

   



時々こうした石段に出会う。まさに参道のようだ(って参道なんだが・・・)。

★ 火うち権現跡 

ここには、火の神を祭る朱塗りの社があったという。どうもこの山は火事との関係が深そうだ。

7: 登山道 その1



だんだん山道らしくなってきた。丸太を並べた緩やかな階段になっている。幅も1m位いあり、歩きやすい。

★ 8/40 

まだ8/40、アドバイスありがとう!

★ 道しるべ 

山頂の愛宕神社までは50丁。ここは二十丁目。所々にこうした道しるべがある。この「*丁目」と嵯峨消防団の「*/40」で、現在位置の大まかな目安がつく。下山道には、こうした道しるべや道標がほとんど無かった。登り道は参拝者への気配りがなされているということか。

   

★ 丁石について 

表参道の丁石について。一の鳥居から頂上の愛宕神社まで五十丁とし、登山者の便を図るため要所要所に丁石を置いたそうな。ただしその多くは現存していないようだ。

★ 丁石と地蔵尊 

これが丁石のようだ。二十三丁とある。その横に座す地蔵尊。これから何度かお目にかかる。

★ 茶屋跡 

登山道(参道)にはかって多くの茶屋があったという。ここは二十五丁目の中間地点で、「ふかや」という茶屋があったそうな。今は石垣だけがその名残を残すという。

8: 登山道 2

★ 二十五丁の休憩所 

屋根付きの小屋が現れた。参拝者を一休みさせるためだろう。「二十五丁の休憩所」と書いてある。ということはここが本当の中間点ということか。紅葉に囲まれ絶好の休憩場所。これで見晴らし良ければ最高なのだが、木立に囲まれ遠くは見えない。水筒を出し一服。

★ 登り道 

この辺になると参道の雰囲気は無くなる。助かるのは、道幅が広めで勾配が思ったほどきつくないこと。緩やかな山腹を迂回するように登っているらしい。そのぶん距離はありそうだが。

★ 五合目の休憩所 

11時18分、五合目の休憩小屋に着く。登り始めて1時間半経過。「30丁目」とあるが、ならば半分過ぎたことに。しかし嵯峨消防団の道しるべとは計算が合わない?

   

★ 大杉神社 

小屋を過ぎると道はやや平坦になる。真っ赤な柵で囲まれた大杉の社が見えてきた。根元だけを残し、崩れ果てた大杉に注連縄が張られ祀られている。

★ 絶景 

大杉の社の側は木立に邪魔されないで遠くへの視界が開けてくる。家並みが見える。京都かな?、ガイド本の地図で確認すると亀岡方面らしい?。ここから眺望はやや疲れた身体をリフレッシュしてくれる。

★ 遠望 

所々で、樹間に遠くの山並みが見える。上り始めてから此処まで、こうした見晴らしは一度も無かった。

[ 後編(登り中間点〜清滝まで)へ ]  2012/11/22 記